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志村けんさん、撮影のこと。





 ここでは志村けんさんの撮影をした時のことを記すが、追悼という意味では一年前にUPするものなのだが、その時 直感的に 志村けんさんが新型コロナで亡くなった世の中の動揺を この国の人はきっとすぐに忘れてしまうだろうなと思ってしまった。今は静かにしていて、もしそうなったら、この動揺をその時に記そうという思いでいた。志村けんさんのことは忘れないはずだが、あの時の動揺も忘れてはいけないと思う。


 現在 東京は三回目の新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言が発出されているが、一回目の発出が昨年の

4月7日で、その時は街中も ひとっこひとり出歩いていないと言っていいほどだった。新型コロナが 得体の知れない恐怖で、志村けんさんが新型コロナで亡くなったということが、更に人々に大きな不安をもたらしたと思う。


 で、状況はあの頃より格段に悪いはずで、家人の会社同僚で 半年前に感染した20代の若者は、今も味覚と臭覚に障害があり、それによってお腹を壊すということが数回あったらしい。はっきり言うと 匂いも味もわからないから 腐ったものを食べてしまう、ということなのだが、20代の感染者が最も多くなっている今、各所に言いたいことはたくさんあるとしても、自分のこと身近な人を大切にするということにおいて、皆しっかりと対応していただきたいと思う。


 このポスターは2000年の仕事で、「フィーバーしむけん」というパチンコ台の店頭に貼るポスターなど宣伝ツール用の撮影だった。志村けんとのタイアップという形になっていて、「バカ殿」「変なおじさん」「ひとみ婆さん」を撮影するというもので、実際に使っている衣装やメイクが必要なため、「志村けんのバカ殿様」の収録に合わせて 東映大泉スタジオに行き、TVの収録をしているスタジオの片隅にこちらのセットを作り、収録の合間に撮影をした。


 この仕事のこともあまり覚えていないのだが、アシスタントが「あんなに大変だったじゃないですか!」と言うのは、つまりTV番組の制作側からすると、「なんで収録の現場にスチールのカメラマンが来てんだ!」

とか「なんでここにセット組んでんだ!」とか、極めつけとしては「収録に時間がかかるのに なんで途中に写真撮影が入ってんだ!」ということなのだと思う。


 政治的なことを書き添えると、「志村けんのバカ殿様」はドリフターズが所属するイザワオフィスの企画、制作で、パチンコ業界で使用するタレントなどのキャスティングは、パチンコ業界に特化して一手に請け負っている代理店があって、そこで多くのことがブッキングされているのだから、収録日に合わせてスチール撮影もできるということだ。


 とは言え、アシスタントは肩身の狭い思いをしていたのだと思うし、僕もそんな政治的なことは当時あまり考えもしなかった。ただ現場でアートディレクターの示す目的地に到達すべくライティングを考えセッティングをし、あとは志村けんさんをバカ殿として定着させることだけを考えているので、それで周りのことはあまり頭にないのだと思う。


 志村けんさんにしてみると、回しっぱなしの動画TV収録の合間に、静的なスチール写真撮影があるのだから、難しいことだったろうと想像する。当時はまだフィルムで撮っていて、この時は4╳5(約102mm╳128mm)のカメラで撮っていたので、被写体には前後左右に動かないようにしてもらい、カブリという黒い布をかぶってファインダーをのぞきフレーミングを決め、ルーペをあてピントと合わせる。合わせたらフィルムが装填されているカットホルダーをカメラにセットし、その間にアシスタントはレンズ閉じ 絞りを合わせ シャッターをチャージする。レリーズというシャッターから延長されているノズル状のもの持って、被写体に掛け声をかける。掛け声は人それぞれで、僕は「じゃ行きます、はーい!」バシャ!という感じでシャッターを切る。(どの掛け声でシャッターを切るかは 僕はあらかじめ被写体に説明していた)その工程とタイミングにうまく合わせられる人とそうでない人がいるが、志村けんさんはこんな表情で撮られるにも関わらず、センターからずれることもなくタイミングも完璧で、使えないカットはほぼなかった。TV収録の様子も傍らで見ていたが、カメラが回っていない時は 言葉少なく穏やかで、回り始めるとコメディアンになるという人だった。その様子はスチール写真の撮影でも変わることなく、プロだなぁと思った。


合掌








 


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