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 田中邦衛さんのこと





 ここ数年 撮影に携わった方たちが亡くなっていく。その度 当時撮影した写真を引っ張り出して見てしまうのだが、だいたいいつも思うのは、「今ならもっと良い写真を撮れたのに、、」ということで、もっと喜んでもらえたであろうにとか、至らなくてすみませんとか、そんな切ない気持ちになる。


 若い頃の仕事のことは あまり細かく覚えていない。当時のアシスタントからは「よくそんなに忘れられますね」と言われるくらいで、大変だったこととか、苦労が大きかった仕事ほど覚えていないようだ。「あんなに大変だったのに、、」と まるで僕が悪かったかのような言われようをする。


 それなのに この田中邦衛さんの仕事のことはとてもよく覚えている。撮影したのは 2001年の秋だったので「北の国から 2002 遺言」の放映前で、邦衛さんのイメージとドラマが完結していないことからか、撮影場所はウッド感のある室内で外の空気も感じられる場所というお題だった。邦衛さんが横浜方面から来られるということもあり、撮影場所は有明の住宅展示場にした。邦衛さんが忙しかったからか、事前の衣装フィッティングはなく、撮影当日に現場でスタイリストが用意したものから選ぶということになっていた。


 撮影当日は 邦衛さんが入られる2時間前にスタッフが現場に入り、撮影場所、光の感じも整えて邦衛さんを待った。この仕事の関係者スタッフ全員が、一般的な役者さんのあり方として、邦衛さんは車でいらっしゃるものと思っていたが、なんと邦衛さんは公共交通を乗り継いで来られ、しかも一人で現場に現れた。よく聞くとマネージャーもいないらしく、スケジュールなどの管理も、自分たち(奥様か?)でやっておられるとのことだった。


 そして衣装のフィッティングだが、このポスターで着ているシャツは邦衛さんが着てこられたシャツで、スタイリストが用意したどのシャツよりも似合っていて、パンツはこちらで用意したものを履いていただいたが、シャツは邦衛さんが着て来られたものを そのまま撮影で着ていただくことになった。(この仕事でお願いしたスタイリストは決して優秀でないわけではない)


 で 撮影中のことは、こちらが思い描いたことを相手が理解していないとか、シャッターを押している時のフィーリングが合わなかったりすると、どうにかしないと、という気持ちで頭が大回転しはじめるのだが、この時はそういうストレスが全くなかった。ファインダーを覗いて被写体を見ると、水晶玉でその人の正体を見るかのように人柄が見えてしまうことがあるが、この撮影中に違和感はなく心地良く、たぶん撮影時間も短かっただろうと思う。


 これも当時の撮影後の慣習となっていたことだが、撮影後にテストで撮ったポラロイドにサインをもらうようなことになっていて、この時もポラロイドと色紙が邦衛さんに渡されて、邦衛さんは色紙に文も書かれていた。その文も今も忘れずにいる。「こどものころから いろはがだめで おぼえているのは いろばかり」

ひかえめで おごるようなことがなく、誰にも同じように接し、本物の凄さはこういう人のことだと思った。


 「今ならもっと良い写真を撮れたのに、、」については何かの機会にまた書きます。

 



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